【実は成熟の証!?】ぼっち力を手に入れた先にある幸せとは?

こんにちは~池さんです(#^^#)

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【実は成熟の証!?】ぼっち力を手に入れた先にある幸せとは?

今から10年ほど前にインターネットで流行した「ぼっち」という言葉。

最近ではもはや死語となりつつありますが、当時は「一人でいること」「友達がいないひと」を揶揄する表現として用いられていたと思います。

特に中学生~大学生の学生時代においては、孤独であることやコミュニティに属していないことが社会的”死”のごとく見られ、ぼっちになることを誰もが避けたがっていたでしょう(現代でもそうかもしれません…)

一人で昼ご飯を食べる、トイレや移動教室のとき誰ともつるまない、休日に友達と遊ぶ予定がない、誰にも誘われない。

人との繋がりがなく、寂しく孤独で楽しみなんてない、つまらないやつというレッテルを貼られ、人目を気にして縮こまるような学生生活を送っていた人もいるでしょう。

ただ、実はぼっちになること、ぼっちであることは否定的な見方だけではなく、1つの成長のしるしと見ることもできるのです。

「ぼっちになる力」これを『ぼっち力』と名付け、そのポジティブな側面にフォーカスしていきたいと思います。

この記事は、以下のような人におススメです。

・ぼっちと言われていた、もしくは自分はぼっちだと思ってきたことで自信を失っている人
・孤独と向き合いながら苦しんできた人
・一人で居られることに誇りを持ちたい、孤独の良さを再確認したい人

自分の自信をつけたいと思っている人は以下の記事も参考になるでしょう。

【背景を知ろう!】なぜ「ぼっち」って悪く捉えられるの?

改めて、ぼっちの意味を確認しておきましょう。

ぼっち

「ひとりぼっち」の略。友人がいない、交友関係がない、孤独な身の上、といった意味でインターネット上などで用いられる表現。

引用先:Weblio辞書

一人ぼっちから生まれたと思われる「ぼっち」という言葉は、「クリぼっち(クリスマスを一人で過ごすこと)」「ぼっち飯(昼食時に、友達や仲間と一緒にではなく、独りで食事をとること)」などの使われ方をします。

孤独、孤立、単一、一人きりといった社会と切り離された存在として捉えることができます。

ここまでの説明では、ぼっちや孤独という言葉にはネガティブな要素は含まれていません。

なぜ、ぼっちに「寂しい」「みじめ」「ダサい」などの否定的な意味が付与されたのでしょうか。

それは、仲間意識や集団規範を強く感じるようになる10~20代において、一人で居ることは普通ではない=異質であると見なされるからです。

異質な存在は排除したくなるのが動物の本能なのかもしれません(いじめの一部も異物を取り除くように行われているかもしれません)。

なので、この時期は無理に友達を多く持とうとしたり、周囲に一目置かれるような集団に属そうとしたりします(一時期問題になったスクールカーストもその例です)。

中学生頃から自意識が高まり、他人から自分がどのように見られているかを気にする子が増えるため、いかに友達や仲間からハブられないようにするか必死です。

「友達がいる=正常・普通=安心」「友達がいない=異常=不安」というバイアスが無意識下に潜んでいるのかもしれません☺

他人の目を過度に気にする人は、以下の記事もぜひお読みください。

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心理の専門家である池さんが日常生活で役立つ心理学の知識を中心に発信しているブログです。

【ぼっちは心の成長!?】孤独になれる力とは!?

先日、目にしたこの言葉が印象深く残っています。

「孤独と孤独感は違う。孤独は”一人でいること”を指し、孤独感は”繋がりがないこと”を指す」

つまり、孤独は一人で居ながら他人との絆を感じられる状態であり、孤独感は他人と一緒に居ながら結びつきが弱い状態であることを意味しています(なので、自殺防止には孤独よりも孤独感にどうアプローチするか大切だというお話でした)。

孤独をぼっちに置き換えても同じことが言えます。

ぼっちで居るには、人との繋がりを感じられることや孤独感を超えた先にある情緒的安定性を持っていることが必要なのです。

10~20代では、孤独感に耐えられない場合、徒党を組んで各々の不安定な心情をカバーし合っているのですが、心理的に成熟してくると、誰かと一緒に居なくても不安やイライラ、寂しさに自分で対処できるようになるため、いつも集団で居る必要がなくなります。

このプロセスを踏むと、孤独感から孤独へシフトします。ぼっちで居られるようになるのです。

つまり、ぼっち力とは一人で居られる能力(=自分で自分の機嫌を取る力が育った心理社会的な成熟)であると言えます。

ただ、ぼっちの中には孤独であり孤独感を感じている人も多く、これはより危険な状態です。

ここで大切なのは、誰も彼も友達が多かったり、たくさんのコミュニティに所属していればいいということではなく、数は少なくても良いから自他共に対等で尊重し合える安定した仲間関係を築くことなのです。

自分と気の合う友人や、趣味嗜好が一致するコミュニティ、温かい雰囲気のある団体などを探してみることをおススメします。もしすでにそのような相手や居場所があるならば、今後も大切にしていきましょう☺

自分らしさを見つけたい人は以下の記事がおススメです。

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【これであなたも!】ぼっち力を手に入れた先にある幸せとは?

最後に、ぼっちで居ることが幸福に繋がるというお話をしましょう。

先ほどもお伝えしたように、ぼっち(孤独)とは、孤独感を乗り越え、精神的成熟を果たしている状態です。

これまで親や先生、友達から支えてもらっていた段階から、自分の足で立って独り立ちをした段階へ移行したと言えます(これを精神的自立とも呼びます)。

誰かと一緒に居ても楽しめるし、一人の時間も大切にできるとも言えます。

ぼっち力を持っている人は一人の人間として心理的に自立しているので、今後人生を一人で送ることもできるし、生涯を見届けたいパートナーと共に生きることもできます(お相手もぼっち力があることが前提ですが…)。

つまり、幸せな人生を送る選択肢が増えるといっても良いでしょう。

ぼっち力がないと、常に誰かに自分の機嫌を取ってもらわないといけなくなるため、相手に負担が大きくなってより良い関係性が築きにくくなります。

恋人と付き合ってはすぐ別れる人、いつまでも学生の頃の友達同士で飲み会を開いている人、

これでは、幸せな人生の選択肢が狭まってしまいます。

10~20代は進路や就職といった社会的成熟のイベントも多いですが、同時に心理的に激動の時期を乗り越えて情緒的安定性を手に入れるタイミングでもあります。

この期間を無事に過ぎると、あとは独身貴族になることも結婚して家族を持つこともあなたにとって幸せな人生になることでしょう☺

人生には楽観的な考え方を持つことで気楽に暮らしていくことができます。その時に大切な条件について以下の記事でまとめていますので、ぜひ参考にしてください。

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まとめ

本日は、【実は成熟の証!?】ぼっち力を手に入れた先にある幸せとは?というテーマでお話ししました。

ぼっちとは以前からネガティブな表現として社会的には認知されてきました。ぼっちでいることは恥ずかしいことだから何としても避けなければ!という風潮が「ぼっち=悪」というレッテルになっていったのかもしれません。

しかし、心理学的に捉えると、ぼっちとは決して恥ずべきことでも、罪悪感を抱くものでもなく、成長の一過程として見ることができます。

世の中にはぼっちになれない人もいます。なりたくてもなれない人もいます。

誰かに寄り添って心を支えてもらわないと生きていけない人が一定数いるのです。

ぼっちになれるのは、すでに心理的に成長を遂げ、人生の次なるステージに進もうとしている証なのです。

胸を張って「私はぼっちだ!」と言える日が来たら幸いです。

人生にハリを生み出してくれる「推し」の心理的メリットについて、以下の記事で詳しく解説しているので、ぜひ読んでみてください。

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本日のお話は以上になります。今回のお話が少しでもあなたの生活の役に立てたら幸いです。

今日も素敵な1日をお過ごしください。池さんでした(#^^#)

 

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